Citations:高弟
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Japanese citations of 高弟
- 1893, 正岡子規, 鎌倉一見の記:
- こゝは何、かしこは何、日蓮の高弟日朗の土窟は此奧なりなど一々に隱士の案内なり。
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- 1910, 桑原隲藏, 老子化胡經:
- 佛教徒は道教の祖師老子を佛弟子とするのみに滿足せず、更に儒家の祖師たる孔子、その高弟顏子を始め、聖人といふ聖人は殘らず味方に引き入れてゐる。
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- 1911, 高浜虚子, 子規居士と余:
- 世人が子規門下の高弟として余を遇することは別に腹も立たなかったがそれほど嬉しいとも思わなかったのである。
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- 1916, 森鴎外, 伊沢蘭軒:
- 一日先生は高弟一同を集めて諭す所があつた。
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- 1922, 内藤鳴雪, 鳴雪自叙伝:
- この入門は稽古場で先生に面会をするだけのことで、それから先生と高弟達の宅を訪問して頼むのである。
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- 1924, 国枝史郎, 八ヶ嶽の魔神:
- 最後に現われた三人の射手は、印可を受けた高弟で、綿貫紋兵衛、馬谷庄二、そうして石渡三蔵であったが的も金的できわめて小さい。
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- 1925, 国枝史郎, 大捕物仙人壺:
- 素行|山鹿甚五右衛門の高弟、望月作兵衛もそこに住み著述をしたということであるが、爾来幾度か住人が変わり、建物も幾度か手を入れられたが、天保になって一世の剣豪、千葉周作政成の高弟、宇崎三郎が住んだことがあったが、この時代から怪異があったと、翁双紙などに記されてある。
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- 1925, 国枝史郎, 三甚内:
- ここに甚太郎は十一歳より随従して今年二十二歳、円明流の奥儀悉く伝授を得て実に武蔵が高弟となれり。
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- 1926, 国枝史郎, 銅銭会事変:
- 当時易学で名高かったのは、新井白峨と平沢左内、加藤左伝次は左内の高弟、師に譲らずと称されていた。
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- 1927, 桑原隲蔵, 大師の入唐:
- 大師の高弟で、大師より約六十年後に入唐せられ、更に海路印度に法を求めんとて、中途の羅越國――今のマレー半島の南端シンガポール附近に在つたかと想はれる國――で逝去された高岳親王も、一時ここに滯在された。
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- 1927, 桑原隲藏, 支那史上の偉人(孔子と孔明):
- 孔子には七十二弟子とて高弟が七十二人ある。
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- 1928, 江見水蔭, 怪異暗闇祭:
- 「や、長沼先生の御高弟、小机先生でございましたか。
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- 1928, 国枝史郎, 娘煙術師:
- 「間違いなく確かにござります」こういうと兵馬は自信がありそうに、月の光でほの白く見える右の肩を心持ちそびやかすようにしたが、「竹内式部の高弟としまして、信用の誰よりも厚くありました者が、私の女房の父親にあたる吉田武左衛門にござります。
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- 1929, 石原莞爾, 戦争史大観:
- タンネンベルグ会戦は彼の理想が高弟ルーデンドルフにより最もよく実行せられたのである。
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- 1929, 薄田泣菫, 艸木虫魚:
- 対山は岡田半江の高弟で、南宗画家として明治の初年まで存えていた人だった。
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- 1932, 三上義夫, 和算の社会的・芸術的特性について:
- 最高の秘伝は特殊の高弟にのみ授けられ、次から次へと伝わってここに系図を構成する。
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- 1933, 戸坂潤, 社会時評:
- 博士の高弟高田保馬氏は、例の貧乏道徳論的な趣味も手伝ったのだろう、恩師の影を踏むを屑しとせずと云って文学部の教授になろうとしない。
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- 1933, 牧野信一, 心象風景(続篇):
- 「大分彼等は大風呂敷をひろげたと見えて、おでんやの親爺は未だに彼等を信じてゐて、さつきも建具屋などが這入つてゐたが、これしきの損害なんてお易い御用だ、なにしろあのミヽヅクはロダンの高弟のオーギユスト先生の作で、時価三千円だといふはなしぢやありませんか――だなんて云つて眼をまるくしてゐるんだからね。
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- 1933, 牧野信一, 天狗洞食客記:
- そして市長の亡父が天狗洞の高弟であつた由である。
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- 1934, 夢野久作, 梅津只圓翁伝:
- その他の門下諸氏も福岡市外に門戸を張って子弟を誘導し、各神社の催能を盛大にしたが、一方に在福の連中の中でも既に三年間翁に師事していた故梅津正保氏等を含む一団の高弟連中は毎月一回|宛、村上彦四郎氏邸や、その他の寺院等で謡会を開いた。
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- 1935, 長谷川時雨, 神田附木店:
- 高弟藤舎|芦雪、またなみなみの材ではなかった。
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- 1938, 長谷川時雨, 朱絃舎浜子:
- 彼処のうちの台所は、とても立派な、調理用ストーブが並んでいるし、井戸は坐っていて酌めるように、台所の中央にあるし、料理は赤堀先生の高弟で、洋食は、グランド・ホテルのクック長が来ていたから、おばさんの腕前は一流です。
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- 1938, 岡本かの子, 狐:
- ――当時和漢洋の学者、青木昆陽先生の高弟で、天文暦法の実測にかけては、西川正休、武部彦四郎も及ばんという貴公が、どうしたことだ。
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- 1939, 薄田泣菫, 質屋の通帳:
- その家といふのは、幸野楳嶺の長男に当る或る日本画家の持物で、貫名海屋の高弟として聞えた谷口靄山が亡くなるまで長く住んでゐた、由緒つきの古い家でした。
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- 1942, 石原莞爾, 最終戦争論・戦争史大観:
- タンネンベルグ会戦は彼の理想が高弟ルーデンドルフにより最もよく実行せられたのである。
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- 1942, 坂口安吾, 青春論:
- 宮本武蔵の高弟はこういう才能をもっていた。
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- 1943, 坂口安吾, 黒田如水:
- カトリックは天主以外の礼拝を禁じ、この掟は最も厳重に守るべきものであつたが、如水は菅公廟を修理したり、箱崎、志賀両神社を再興し、又、春屋和尚について参禅し、その高弟雲英禅師を崇福寺に迎へて尊敬厚く、さりとて切支丹の信教も終生捨てゝはゐなかつた。
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- 1947, 坂口安吾, 破門:
- 思想に於て拙者の高弟といふわけですな。
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- 1947, 坂口安吾, 二流の人:
- カトリックは天主以外の礼拝を禁じ、この掟は最も厳重に守るべきであつたが、如水は菅公廟を修理したり、箱崎、志賀両神社を再興し、又、春屋和尚について参禅し、その高弟雲英禅師を崇福寺に迎へて尊敬厚く、さりとて切支丹の信教も終生捨てゝはゐなかつた。
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- 1947, 坂口安吾, 金銭無情:
- こゝのマーケットは半分店を閉ぢてゐるが、その中の馬小屋を三ツ占めて、先づ上ると、待合室、その次が、伺ひの間と云つて、こゝで神様の高弟が人間と神様との中間的な仙境から冷酷無慙な反射鏡をさしてらして過去の罪障にカシャクなく迫る。
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- 1947, 小倉金之助, 黒板は何処から来たのか:
- 今や革命政府によってエコール・ポリテクニクが創立され、しかもそこでは学問の性質上、画法幾何学は一躍して非常に重要な科目となり、モンジュ及びその高弟によって、極めて熱心に教授されるに至った。
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- 1948, 菊池寛, 奉行と人相学:
- 左膳は当時の大儒|室鳩巣の門下で、代講までするほどの高弟であったが、中途から易学に凝り出し、易、人相、手相などを研究していた。
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- 1954, 坂口安吾, 花咲ける石:
- 法神の高弟を三吉と称する。
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