Citations:真髄

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Japanese citations of 真髄

  • 1900, 国木田独歩, 小春:
    手帳と鉛筆とを携えて散歩に出掛けたスコットをばあざけりしウォーズウォルスは、決して写実的に自然を観てその詩中に湖国の地誌と山川草木を説いたのではなく、ただ自然その物の表象変化を観てその真髄の美感を詠じたのであるから、もしこの詩人の詩文を引いて対照すれば、わが日本国中数えきれぬほどの同風光を見いだすだろう。
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  • 1910, 永井荷風, 霊廟:
    なおそれのみに止まらず、紅雨は門と玉垣によって作られた二段三段の区劃を眺めてメエテルリンクやレニエエなどが宮殿の数ある柱や扉によって用いたような象徴芸術の真髄を会得したようにも感じた。
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  • 1911, 押川春浪, 本州横断 癇癪徒歩旅行:
    現代の所謂ハイカラなどという奴は、柔弱、無気力、軽薄を文明の真髄と心得ている馬鹿者共である。
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  • 1917, 大杉栄, 新しき世界の為めの新しき芸術:
    其の都度僕は、一つは民衆と云う事をいつも議論の生命とし対象としている僕自身の立場から、もう一つは誰れ一人として本当に此の民衆芸術と云う問題の真髄を掴えている人のいないらしいのに対する遺憾から是非とも其のお仲間入りをしたいとは思いながらも、遂に其の意を果たす事が出来なかった。
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  • 1922, 末弘厳太郎, 嘘の効用:
    な結論を求めたと信じている法学は学生をして「法」の真髄を知らしめるゆえんではない。
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  • 1924, 宮本百合子, 対話:
    そして、私の忠実な僕の芸術家達は、巫女のような洞察で天と人類とのゆきさつを感じ、様々な形で生存の真髄を書きとめ刻みつけ彩って行くのです。
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  • 1926, 折口信夫, 叙景詩の発生:
    柿本人麻呂も既に、次の時代の暗示者たる才能の上から、意識はしなかつたらうけれども、宴歌又は旅の歌に、叙景の真髄を把握したものを作つて居た。
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  • 1931, 戸坂潤, 辞典:
    極端な戯画的な形態をさえ取らなければ、日本主義こそその本質と真髄から云えば、日本ブルジョアジーの、又は日本ブルジョア社会の、常識であり通念である。
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  • 1934, 夢野久作, 梅津只圓翁伝:
    廃れて行く能楽の真髄、別して自分の窮めた喜多流の奥儀を、せめて九州の一角にでも残しておきたいという一念から翁を見込んで相伝したものに違いなかったであろうが、それでも徳義に篤い只圓翁としては、そのままに過ごす事が出来なかったのであろう。
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  • 1937, 海野十三, ヒルミ夫人の冷蔵鞄:
    「美人ト不美人トノ相違ノ真髄ハ何処ニアリヤト考エルノニ、要スルニ夫レハ主トシテ眉目ノ立体幾何学的問題ニ在ル。
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  • 1938, 佐藤垢石, 水垢を凝視す:
    友釣でも、ドブ釣でも技術の真髄を究めようとするには、どうしても鮎と水垢との関係を詳かにして置く必要がある。
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  • 1942, 国枝史郎, 日本上古の硬外交:
    神功皇后様、聖徳太子様の硬外交の真髄を体得した我国上古の遣外使臣達が、さまざまの形に於て同じく、我国独特の硬外交的行動を行為し国威を揚げたことは枚挙に暇無い。
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  • 1947, 織田作之助, 大阪の可能性:
    言葉ばかりでなく、大阪という土地については、かねがね伝統的な定説というものが出来ていて、大阪人に共通の特徴、大阪というところは猫も杓子もこういう風ですなという固着観念を、猫も杓子も持っていて、私はそんな定評を見聴きするたびに、ああ大阪は理解されていないと思うのは、実は大阪人というものは一定の紋切型よりも、むしろその型を破って、横紙破りの、定跡外れの脱線ぶりを行う時にこそ真髄の尻尾を発揮するのであって、この尻尾をつかまえなくては大阪が判らぬと思うからである。
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  • 1950, 坂口安吾, 水鳥亭:
    遺跡の発掘は米英的な科学にすぎませんが、私のは、学問の真髄、日本精神にのっとった唯一最後のものなんです。
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  • 1952, 相馬愛蔵, 私の小売商道:
    さらに在来の商人が伝来の風習によってかえって商人道の真髄に遠ざかる憾みあることを感じ、むしろ素人を以て誇りとするものであります。
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  • 1954, 北大路魯山人, 美食七十年の体験:
    前に木下の『美味求真』、大谷|光瑞の『食』、村井|弦斎の『食道楽』、波多野承五郎の『食味の真髄を探る』、大河内正敏の『味覚』など、それぞれ一家の言を表わしてはいるものの、実際、美味問題になると、いずれも表わし得たりと学ぶに足るほどのものではない。
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