Citations:教頭
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Japanese citations of 教頭
- 1904, 河口慧海, チベット旅行記:
- で、その俗語を習う月謝はもちろん私が払いますので、その上私はダージリンに在る官立学校へ通ってチベット語の教頭ツーミ・ウォンデンという人から正式のチベット語を学ぶことにしました。
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- 1906, 夏目漱石, 坊っちゃん:
- 挨拶をしたうちに教頭のなにがしと云うのが居た。
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- 1907, 泉鏡花, 婦系図:
- 教頭は僕と同窓だからね。
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- 1908, 森鴎外, 能久親王年譜:
- 戸山学校次長を罷められ、同じ学校の教頭に補せられさせ給ふ。
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- 1908, 森鴎外, 能久親王年譜:
- 戸山学校次長を罷められ、同じ学校の教頭に補せられさせ給ふ。
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- 1909, 内田魯庵, 二葉亭四迷の一生:
- 然るに徳永商店では教頭の飼犬の中の一頭だけ轡を施こして鎖で繋いだが、残りの何頭かは野犬として解放してしまった。
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- 1909, 石川啄木, 葉書:
- 学生は終ひに、K――中学で教頭をしてゐて、自分に目を掛けてくれた某といふ先生が、××中学の校長になつてゐたから、その人を手頼つて××に来た。
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- 1914, 夏目漱石, 私の個人主義:
- しかるに文部省の内意を取次いでくれた教頭が、それは先方の見込みなのだから、君の方で自分を評価する必要はない、ともかくも行った方が好かろうと云うので、私も絶対に反抗する理由もないから、命令通り英国へ行きました。
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- 1916, 森鴎外, 渋江抽斎:
- 後大江は県令|林厚徳に稟して、師範学校を設けることにして、保を教頭に任用した。
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- 1922, 大町桂月, 粕壁夜行記:
- 川越に夜行したるは、凡そ一年半の前なるが、當時松崎氏は、川越中學校の教頭にして、校長に代りて、我等を迎へられたり。
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- 1922, 内藤鳴雪, 鳴雪自叙伝:
- そうしてモウ弟も大分真面目になっていたのでその教頭となった。
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- 1927, 小泉節子, 思い出の記:
- 中学の教頭の西田と申す方に大層御世話になりました。
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- 1928, 堺利彦, ハガキ運動:
- 或學校で學生間に教頭排斥が起つて、既にストライキをやらうとしたのだが、ストライキでは犧牲を出す恐れがあると云ふので、ハガキ運動といふ事を誰かゞ思ひついて、有志の學生は毎日一|枚づつ教頭に宛てゝ辭職勸告の葉書を出さうと云ふ事に申し合せた。
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- 1929, 学校へ奉職した前後のはなし, 幕末維新懐古談:
- 私の学校へ這入った時分は、今の枢密院副議長浜尾男爵が校長で、故岡倉覚三先生が幹事、有名なフェノロサ氏が教頭という格で生徒がすべてで四十人位であったと思います。
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- 1931, 三上義夫, 数学史の研究に就きて:
- かくして私は極めて貧弱な資料しか参照することは出来なかったのであるけれども、ともかく、明治四十二年に至ってかねての約束の如く、独逸のライプツィッヒ市トイブナー社から出版すべき英文の『和漢数学発達史』と、またほかに米国コロンビア大学師範科の教頭スミス博士と共著の『日本数学史』との原稿を書き上げることが出来た。
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- 1934, 夢野久作, 梅津只圓翁伝:
- その中でも梅津朔造氏は囃子方、シテ方を通じての教頭格らしかった。
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- 1934, 夢野久作, 梅津只圓翁伝:
- その中でも梅津朔造氏は囃子方、シテ方を通じての教頭格らしかった。
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- 1946, 今井邦子, 伊那紀行:
- 高津才次郎先生は伊那高等女學校の教頭で、はやく井月の研究家として知られてゐる。
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- 1947, 坂口安吾, 青鬼の褌を洗う女:
- 私は少女のころから男の年齢が苦にならず、女学生の時も五十をすぎた教頭先生が好きでたまらなかった。
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- 1949, 永井隆, この子を残して:
- 学年末で忙しいころ、純心学園の教頭の片岡君がやって来て、誠一君の中学はどこに決めたか? と聞いた。
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- 1953, 片山廣子, L氏殺人事件:
- 教頭のM女史とボーイッシュで美しいA女史とは東の建物の二階の二つの部屋にそれぞれ起居してゐて、広い庭をへだててゐたからこの騒ぎは知らなかつた。
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- 1956, 小金井喜美子, 鴎外の思い出:
- 明治初年になって、前に述べた西周氏が洋行から帰って、西三筋町に住われた頃、沼津に軍黌が出来るからとのことでその主務教頭となるように勧められて承諾しました。
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